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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)6970号 判決 1979年4月23日

原告 兼光忠夫こと 金允中

被告 国 ほか一名

訴訟代理人 東松文雄 小板信行 永田英男

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一  請求原因1及び2の各事実は当事者間に争いがない。

二  被告東京都に対する請求について検討する。まず、本件逮捕状請求に至る経緯について判断する。

原告が昭和四四年当時住所地及びその附近で飲食店、遊戯店等を経営していたこと、原告が同年一二月頃から葛生に対し本件土地に関して合計金三〇〇万円を貸し渡したこと、原告が朝鮮国籍であること、昭和四五年二月六日田崎から葛生に本件土地の所有権移転登記がなされたこと、葛生と田代との間で本件土地売買契約書が作成されたこと、本件土地につき田代名義で所有権移転請求権仮登記がなされたこと、原告が本件土地の権利証を預つたこと、原告と葛生が昭和四五年五月四日に会つたこと、同年六月二三日原告から佐土原に本件土地の所有権移転登記がなされたこと、葛生が昭和四四年一〇月頃原告から埼玉県鳩ケ谷の土地に倒産した会社に代つて葛生が建売住宅を建築し他に売却するために要する資金の融資を受けたこと、以上の事実は原告と被告東京都の間で争いがない。

次に、<証拠省略>によれば、葛生は、昭和四五年二月頃までに、原告から、右埼玉県鳩ケ谷の土地の建売住宅の建築、売却に要する資金として少くとも金五四〇万円を借受けていたこと、又、葛生は、昭和四五年初頃、原告から、東京都葛飾区四つ木所在の未完成の建物の買取資金として少くとも金八〇万円を借受けたことが認められ、右認定を覆するに足る証拠はない。

以上の事実に<証拠省略>を総合すれば、原告は、当初、葛生に対する前記貸金債権担保のため、本件土地の所有権を取得することを考えていたが、昭和四五年二月六日、田崎から本件土地につき所有権移転登記手続を受ける段階になつて、葛生と合意のうえ、葛生名義で所有権取得登記手続をするが、一方、前記債権担保の目的で、葛生、田代間において、本件土地及び地上に建築予定の木造二階建建物床面積六三・九九平方メートルを代金五五〇万円で売渡し、同年四月三〇日までにその旨の所有権移転登記手続及び引渡を完了する旨の同年二月六日付の土地付建物売買契約書を作成し、田代名義で売買予約を原因とする所有権移転請求権仮登記を経由すること、本件土地の権利証は原告が頂かること、葛生は右売買代金五五〇万円の領収書を作成、提出することとし、斉藤において右の土地付建物売買契約書を起案し、葛生、田代及び立会人斉藤がそれぞれ押印し(<証拠省略>)、葛生も右の趣旨にそう領収書<証拠省略>を作成、提出し、同年二月九日付をもつて右の所有権移転登記及び所有権移転請求権仮登記がそれぞれなされ、本件土地の権利証は原告が保管するに至つたことが認められ、右認定を動かすに足る証拠はない。

右認定事実によれば、原告と葛生との間で、昭和四五年二月六日、原告の葛生に対する前記貸金債権のうち金五五〇万円を担保する目的で、本件土地につき代物弁済の予約が成立していたものと推認するのを相当とし、この認定に反する証人葛生の証言の一部は措信できない。

そこで、右のような背景の下で、昭和四五年五月四日、原告と葛生との間でなされた交渉につき、小岩署の捜査の経過に即して検討する。

葛生が小岩署で、原告に実印と印鑑証明書を喝取され、本件土地につき佐土原へ所有権移転登記がなされたと供述し、小岩署の警察官らがこれを信用したことは原告と被告東京都の間で争いがないので、右の供述が信用すべきものであつたかにつき検討する。<証拠省略>によれば、本件逮捕状請求書に添付されていた疎明書類は、安部末男の司法警察員に対する供述調書、小林・武田両名作成の捜査報告書、司法警察員加藤仙裕作成の捜査報告書、真壁の司法警察員に対する供述調書、斉藤の昭和四五年一一月二三日付及び同月二五日付の各司法警察員に対する供述調言、同年一二月八日付告訴状、同年一〇月一六日付被害届、葛生の同年一〇月一六日付(小林、武田に対するもの各一通)、同年一二月五日付、同月八日付の各司法警察員に対する供述調書(計四通)であり、その内容のうち恐喝被疑事実に関する部分は概ね次のとおりであることが認められる。

1  被害届‥昭和四五年五月六日(ママ)午前一一時ころから午後四時ころの間、原告方へ連行されたうえ、「俺を馬鹿にするな、お前の実印と交換でなければ生命は保証しないぞ。」などと脅されて実印を奪われた。

2  葛生の昭和四五年一〇月一六日付司法警察員(小林)に対する供述調書‥昭和四五年五月四日午前一一時ころ原告は乗用車で若衆二、三人連れて当時の葛生の住所へ来て「ちょつと来い。」といい、葛生が断わつたら、「何いつているんだ。さんざん俺に世話になつていて、俺のいうことをきかなければお前の生命は保証しないぞ。」と脅されて、原告宅へ行き、そこでまた、「あまり俺を馬鹿にするな。お前の実印と交換でなければ帰さないぞ。」などと五時間くらい監禁状態で脅されて、しかたなく真壁に実印を持つて来させて原告に渡した。原告は葛生の実印で、印鑑証明書の交付を受け、葛生名義の白紙委任状を偽造して、本件土地につき佐土原への所有権移転登記を了した。

3  葛生の昭和四五年一二月五日付の再法警察員に対する供述調書‥原告と若い衆三人くらいに車で原告宅へ連行されて、「ふざけんではない。この野郎、俺を誰だと思つていやがるんだ、手前には一八〇〇万円も貸してあるんだ。俺と勝負して殺しては、俺は損するんだ。手前みたいな野郎になめられている兼光ではないんだ。とりあえず実印を持つて来い。」と脅され、居合わせた若い衆にも脅されて、真壁に持つて来させて実印を渡した。そのすぐ後で、同行して印鑑証明書の交付申請をするよう求められ、断わると、「ふざけるなこの野郎、手前を放したら逃げてしまうから何が何でも印鑑証明をとれ。」と脅されて、葛飾区役所第七出張所に行き、印鑑証明書の交付を受け、原告に渡した。

4  告訴状‥原告が若い衆三人連で来て、「俺のいうことをきかないとお前の生命は保証しない。」と脅して自動車で葛生を原告宅に連行し、五人くらいでとりかこみ、実印を出せと迫り、拒否すると、「お前の実印と交換でないと帰さないぞ。」と約五時間軟禁状態で脅し、葛生は真壁に実印を持つて来させて渡した。更に脅されて印鑑証明書をとられた。

5  斉藤の昭和四五年一一月二三日付司法警察員に対する供述調書昭和四五年五月四日正午ころ原告が若い衆二名と来て、葛生に「今日はどうしても話をつけるから一緒に来い。」といい、葛生が断わると、原告は若い衆を示して、「どうしてもお前のことを連れて帰つて今日中に解決しなければならない。」とどなつて強引に自動車に乗せて行つた。斉藤と真壁はそこにいたが黙つて見ていた。翌日葛生から、実印をとられたことを聞いた。

6  真壁の司法警察員に対する供述調書‥昭和四五年五月初めの午前九時半か一〇時ころ、葛生、斉藤、真壁がいたところへ原告が来て、「手前この野郎ふざけるな。ちょつと来い。」といい、葛生が断わると、「だめだ、どうしても来い。」といつて腕をひつぱつて表に出て、若い男二、三人と乗用車に連れこんで、乗せて行つた。正午ころ原告から電話があり、途中で葛生が代わつて「実印を持つて来い。」というので、原告宅へ届けた。

7  加藤仙裕作成の捜査報告書‥原告宅でのやりとりを芳井が居合わせて、見ており、そのことを斉藤に話した。

次に本件捜査の経過と証拠書類の作成過程につき、<証拠省略>によれば、次のような事実が認められる。

葛生と斉藤は昭和四五年八月ころ山田某の紹介で小岩署に武田を訪れ、本件につき相談を持ちかけた。この段階では、武田は、小岩署の管轄外であるとして積極的にはとりあげないでいたが、同年一〇月に至り、警視庁の杉山指導官の指導もあつて、立件することにし、高橋課長は小林、武田、加藤らに捜査を命じた。小岩署の警察官らは、原告と葛生との間に債権債務関係があることはわかつていたが、本件はそれを口実にした一連の悪質な事件で、葛生の供述は大筋で信用できると判断していた。

右の事実関係の下で、まず、前記の葛生の供述を、その供述内容によつて吟味してみると、右供述は、(1)当日の午前一一時ころ原告が来て、葛生を原告宅に連行したこと、(2)原告宅で、原告が葛生に実印を渡すことを要求し、原告が電話をかけて真壁に実印を届けさせて、葛生がこれを原告に渡したこと、(3)原告と葛生が共に葛飾区役所第七出張所に行き、印鑑証明書の交付を受けて、葛生が原告に渡したこと、以上の三点から成つていろが、供述内容は常に一致しているわけではない。まず、被害届では本件発生を五月六日としていろが、これは記憶違いよると推認されるし、(3)の事実につき、2の供述調書では原告が自分で入手したとなつているのに対し、3の供述調書と4の告訴状では原告が葛生に取らせたとなつていて、くいちがつているが、これは、時間的経過から考えて、当初の記憶ちがいを後で訂正したと見ることができる。ところで、恐喝被疑事実の成否の要点となるべき原告の葛生に対する言辞についてみると、1ないし4のいずれもが同じではなく、また「お前の生命は保証しない。」ということばは、1、2、4に共通しているものの、1は原告宅で、2、4は葛生方でとなつていて混乱が見受けられる。しかしながら、葛生の右供述によれば、原告宅でのやりとりはかなり長時間にわたつており、その間多くの言辞がかわされたと推認されるから、1ないし4のそれぞれ異なることばがいずれもどこかの時点で原告から葛生に向けられたもので、同じようなことばが繰り返して出されることも考えられない訳ではなく、又、1ないし4の各供述は葛生が原告と同席していた間に述べられた原告のことばをすべて伝えるものではなく、その間に述べられた多くの原告のことばのうちの一部をとりあげて供述したものと推認することは充分可能であるから、右のことばの不一致によつて葛生の供述が信用できないと断ずべき筋合ではない。むしろ、葛生の各供述を大筋としてみるならば、前記の(1)葛生方から原告宅への連行、(2)原告宅での実印の引渡し、(3)葛飾区役所第七出張所での印鑑証明書の引渡し、のいずれについても、原告が葛生の意思に反して強制し、その際原告が葛生に対し、葛生の生命、身体に危害を加えるかのようなことばを向けたことがうかがわれる、従つて、葛生の供述は、その内容だけからは、未だ信用できないものであると速断することはできない。

原告は、武田ら小岩署の警察官らが、葛生が信用がなく、虚言癖を持つていたことを知つていたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。証人斉藤正喜は原告の右主張にそう供述をするが、斉藤の右供述は後述する理由によつて措信できない。

次に真壁の前記供述内容を吟味する。真壁は前記(1)の葛生方から原告宅への連行につき目撃し、更に(2)のうち葛生の実印を原告宅に届けたことにつき供述しており、その内容は、葛生の供述と矛盾するものではない。原告は、真壁の供述は措信できないと主張するが、真壁が葛生と同棲していたからといつて、直ちに同人の供述が措信できないものと速断できる訳ではなく、又、真壁は恐喝被疑事実の要点となる原告宅での交渉に関与していない(この点は当事者間に争いがない。)とはいえ、その前後の事実につき、自分で直接体験したことを、自分の記憶によつて任意に供述しており、その供述内容自体に、一貫性を欠いたり、矛盾する点はなく、右の供述が、葛生の供述と合致するものであるから、葛生の供述を補強する有力な証拠であるというべきである。

次に斉藤の前記供述について吟味する。斉藤は前記(1)の原告が葛生を連行したことにつき自分で目撃し、(2)(3)の事実については葛生からの伝聞として供述しており、その内容は葛生の供述と矛盾しないので、これだけでは信用すべきもののようにも考えられる。しかしながら、<証拠省略>を対比してみると、多くの点で相違があり、しかも右各証拠によれば、斉藤は、前記二で認定したとおり、葛生と原告との間の本件土地の代物弁済予約成立時にこれに関与しており、恐喝被疑事実発生時にも葛生に雇われていたが(斉藤が葛生に雇われていた点は当事者間に争いがない。)、その後やめており、更に昭和四五年秋ころには監禁致傷、恐喝、銃砲刀剣類等所持取締法違反、麻薬取締法違反被疑事件で逮捕され(この点は当事者間に争いがない。)、葛生とけんか別れになり、本件捜査の時にはまた葛生に協力しているなど、葛生との関係だけをとつても何度が変転していることが明らかであり、従つて斉藤の供述の変転は、供述時の自己の立場、利害関係に影響されていると推認される。そうすると、斉藤の各供述のうち前後で異なつている点につき、どれを信用すべきかはにわかに決しがたいことになり、前記(1)の事実を目撃したことにつき、<証拠省略>の供述より後にこれと相反する供述をしている以上、そのいずれを信用すべきものか否かも決しがたいものといわなければならない。ところが、逮捕状請求の疎明資料の信用性は当該請求の時点で判断すべきものであるから、事後的には右のとおり疑問があるというべきであるものの、小岩署の警察官らが請求の当時、斉藤の供述の信用性が低いことを知つていたか否かについては、これを明らかにする証拠はないし、仮に斉藤の本件捜査における供述が信用できないとしても、前説示のように、葛生、真壁の各供述が大筋において信用できるもので、これらによつて恐喝被疑事実の成立を一応認めることができる以上、これらによつて小岩署の警察官らは、原告が恐喝被疑事実に該当する行為をしたことを疑うに足りる相当の理由があると判断し得たものというべきである。次に、本件逮捕状請求時までに芳井を取調べなかつたことは当事者に争いはなく、<証拠省略>によれば、本件当日原告宅で原告と葛生とが実印の交付につきやりとりをしていた時に芳井が同席したことが認められるものの、警察の行なう捜査において、参考人の取調を逮捕前に実施するか、被疑者を拘束した後にするかは、当該参考人と被疑者との関係いかんによつて異なるものであり、その判断は原告として捜査担当者の裁量にゆだねられると解するのを相当とするところ、本件についてこれを見るのに、<証拠省略>によれば、芳井と原告は終戦時からの古い友人であり、本件当日芳井は原告に呼ばれて原告宅に来たものであつて、小岩署では、原告と芳井とは共犯の可能性があり、原告逮捕前に芳井を調べると証拠隠滅のおそれがあると判断していたことが認められる(<証拠省略>の右認定に反する部分は措信しがたい。)。従つて、前記のとおり葛生と真壁の供述によつて恐喝被疑事実の成立を一応認めることができる本件において、原告逮捕前に芳井を取調べなかつたことをもつて捜査上の手落ちがあつたものと断ずることはできない。

ところで、本件の恐喝被疑事実で原告が喝取したとされているのは葛生の実印と印鑑証明書であり、その授受が原告の葛生に対する前記貸金債権の担保権実行の方法としてなされたものであることは、以上認定の事実と原告本人尋問の結果により明らかである。そして、権利を有する者も、任意に履行しない義務者に対しト社会通念上相当と認められる程度を超えて履行を強制することは許されず、右の程度を超えて権利行使する場合には恐喝罪を構成することもあるものと解すべきところ、本件において、恐喝被疑事実については結果として起訴されなかつたことは当事者間に争いはない。

しかしながら、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示であり、起訴時における検察官の心証は、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りると解するのが相当であるところ(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日判決判例時報九〇六号四頁以下参照)、右の公訴提起時における検察官の心証は、もとより、逮捕について刑事訴訟法が要求する「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合」よりはより高度の有罪についての心証をいうものと解すべきであるから、検察官が逮捕の被疑事実について公訴を提起しなかつたからといつて、当該被疑事実につき逮捕状による逮捕の要件を具備しなかつたものと速断しうべき限りではない。本件においては、前説示のように、葛生、真壁の前記各供述により、小岩署の警察官らにおいて、原告が恐喝被疑事実に該当する行為をしたことを疑うに足りる相当な理由があると判断し得たものと認められる以上、当該恐喝被疑事実について公訴が提起されなかつたといつて、直ちに、小岩署の高橋課長らに捜査上の手落ちがあつたものということはできない。

以上のとおり、恐喝被疑事実につき嫌疑が薄く、捜査が杜撰であつたという原告の主張は失当である。

三  原告は、小岩署の警察官らが、原告が暴力団関係者であるとの予断を持つていたと主張するので、この点につき判断する。葛生が小岩署で、原告が暴力団関係者であると供述し、小岩署の警察官らがそのように認めていたことは当事者間に争いがない。<証拠省略>によれば、武田は本件捜査中に警視庁捜査四課に電話で照会し、原告が暴力団員であるとの回答を受け、これに基づいてその旨の認識を抱き、捜査報告書を作成したことが認められる。原告の右主張の趣旨は必ずしも明らかではないが、小岩署警察官らの右認識が、恐喝被疑事実の成否、逮捕の必要性の判断につき特に影響を及ぼしたことは本件全立証によるもこれを認めることはできない。従つて原告の右主張は失当である。

四  次に、原告は、小岩署の警察官が勾留の取消をなす義務を果たさなかつたと主張するが、警察官が事件を検察官に送致した後においては、検察官が自らの判断で勾留請求、勾留取消の請求をなすべきものであるから、原告の右主張は前提を欠き失当である。

五  捜査段階の身柄拘束について、原告主張のとおり逮捕状発付、勾留請求、勾留状発付があつたことは当事者間に争いがない。

原告の主張は要するに、恐喝被疑事実につき、十分な証拠がなく、嫌疑が薄かつたのに、逮捕状発付、勾留請求、勾留状発付がなされたというのである。

しかし前記の被告東京都に対する請求についての判断で説示したとおり、逮捕状請求の疎明資料によつて原告が恐喝被疑事実に該当する行為をしたことを疑うに足りる相当の理由があつたのであり、石川裁判官は同様の判断のもとに逮捕状を発付したものというべく、その間に、何ら違法、不当な点はない。更に、<証拠省略>によれば、原告は逮捕後の昭和四五年一二月一三日小岩署の取調で、葛生の供述とはいくつかの点でくいちがいがあるものの、本件当日葛生から実印と印鑑証明書の引渡しを受け、しかもその際脅しがあつたことを完全には否定しない趣旨の供述をしていることが認められ、勾留の段階で原告が恐喝被疑事実に該当する行為をしたことを疑うに足りる相当な理由がなくなつたとは到底考えられないから、検察官の勾留請求と裁判官の勾留状発付についても何ら違法、不当な点はない。更に、勾留後に、公訴事実によつて起訴されるまでの間、原告が恐喝被疑事実に該当する行為をしたことを疑うに足りる相当な理由が消滅したと認めるに足りる証拠もないから、検察官が勾留の取消請求をしなかつたことをもつて違法ということはできない。

又、原告は、昭和四五年一二月二六日に恐喝被疑事実について原告を釈放した後に起訴罪名によつて原告の勾留を続けたことは職権乱用または職務怠慢である旨主張するが、後に説示するように、本件公訴事実についての検察官の公訴提起は違法と目すべきものではなく、前認定の本件についての関係者の供述の変転、複雑な利害の対立などに鑑みるならば、原告に対し刑事訴訟法第六〇条第一項第二、三号の事由があるとしていわゆる求令状起訴をし、勾留状の発付を得て勾留を継続したことをもつて職権乱用又は職務怠慢であるということはできない。

六  次に、宮崎検事が原告を本件公訴事実につき起訴したこと本件公訴事実のうち私文書偽造・同行使の点につき控訴審で無罪となつて確定したことは当事者間に争いがない。

しかし、起訴された事実の全部または一部につき最終的に無罪となつても、起訴そのものが直ちに違法となるものではない。

けだし、起訴時における検察官の心証については前説示のとおりであり、その性質上、判決時における裁判官の心証とは異なるものと解すべきであるからである。

本件についてこの点にみるのに、原告の主張は要するに、葛生が原告に本件土地の処分を一切まかせたのであるから、本件土地につき佐土原への所有権移転登記申請をなす旨の葛生名義の委任状の作成は偽造にはならないとの点にあるので、これについて検討する。

<証拠省略>を総合すると、次のような事実が認められる。

葛生は、本件土地に関して原告から融資を受けたこと、その担保のために前記売買契約書を作成し、田代名義で本件土地につき所有権移転請求権仮登記したことなどは認めたが、昭和四五年五月四日に代物弁済が成立したことは否定し、前記のとおり印鑑などを原告に喝取されたと供述している。これに対して、原告は喝取を否定し、当日原告と葛生との間で前認定の貸金債務のための代物弁済として本件土地の所有権を原告に移転し、その実行のため印鑑などを預つたと供述している。他方、佐土原は原告に頼まれて形式上本件土地の所有名義人になることを承諾したと供述している。

従つて、原告と葛生の供述はくいちがつているものの、葛生が原告に債務を負担し、担保を提供していたことから、原告の脅迫行為と相まつて、その要求を拒みきれず、不本意ながらも本件土地の所有権を移転することを承諾し、その登記手続のため印鑑などを渡したと認定することは可能である。

しかし、佐土原への本件土地についての所有権移転登記は右のとおり実体を伴なわないものであり、葛生は佐土原に対する右所有権移転登記のための委任状の作成を明示的に原告に授権しなかつたことは明らかであるから、このような事実関係の下で、右委任状作成につき黙示的に授権があつたとみるべきかどうかが、私文書偽造罪の成否を決めることになる。

本件において、私文書偽造・同行使の点につき、最終的には無罪になつたとはいえ、第一審で有罪判決があつたことは第一審裁判所は右委任状作成につき黙示的にも授権はなかつたものと判断したことを示すものであり、又右有罪判決の理由の根拠となつた葛生の供述(証言と供述調書の違いはあつても)があり、その証拠資料の評価が捜査段階の認識と大きく異なつてはいないのであるから、証拠資料の収集とその評価につき、検察官に手落ちがあつたということもできない。従つて、右の事実関係の下で、右委任状作成につき黙示的にも授権がなかつたとして私文書偽造・同行使の点につき有罪と認められると判断した検察官の判断に合理性がないということはできない。

してみれば、検察官の本件公訴提起が違法であることを前提とする原告の請求は、その余の点を判断するまでもなく失当である。

七  次に、本件公訴事実につき第一審裁判所がした有罪判決に対し、控訴が提起され、控訴審において本件公訴事実のうち私文書偽造・同行使の点は無罪の判決がなされ、これが確定したことは、当事者間に争いがない。

しかし、第一審裁判所がなした有罪判決について、上訴が提起され、上級審で第一審判決が破棄され無罪判決がなされ確定したとしても、第一審判決が直ちに国家賠償法上違法となるものではない。

裁判官のなす職務上の行為について、一般的に国家賠償法の適用が肯定されるとしても、裁判官の行う裁判に関しては同法の適用につき裁判の本質に由来する制約があるというべきであつて(最高裁判所昭和四三年三月一五日判決、判例時報五二四号四八頁参照)、日本国憲法第七八条で保障されている裁判官独立の原則、裁判の確定力の原則、現行裁判制度においてとられている審級制度の趣旨に鑑みるならば、少くとも、訴訟制度上不服申立方法が認められている判決については、当該判決が上級審で破棄又は取消されたとしても、それは当該判決が当該訴訟法上違法と評価されたことを意味するに止まり、当然に国家賠償法上も違法と評価されるものではなく、従つて、当該訴訟手続において是正されるべき当該判決における事実認定又は法令適用の誤りもしくは手続上の法令違背は単に当該訴訟法上の違法事由を意味するに過ぎず、これをもつて当該判決の国家賠償法上の違法事由とすることはできないと解するのが相当である。そして、当該判決が国家賠償法上も違法と評価されるのは当該裁判官が故意に事実認定又は法令適用を歪曲し、又は故意に手続上の法令を遵守しなかつた場合に限られると解するのが、前述の裁判官独立の原則、裁判の確定力の原則、審級制度の趣旨と国家賠償法の立法目的とを矛盾なく調和せしめる所以であると考える。

そこで、本件についてこの点をみるのに、原告は、裁判官において故意に事実認定又は法令適用を誤り、又は故意に法令を遵守しなかつたことにつき何ら主張、立証をしないから、その余の点を判断するまでもなく、この点に関する原告の請求は失当である。

八 以上の次第で、原告の本訴請求は、被告東京都に対する請求も、被告国に対する請求も失当であるからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山口繁 遠藤賢治 佐藤道雄)

別紙一、二<省略>

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